ある産婦人科医のひとりごと

備忘録、テーマはいろいろ

回顧録

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昭和63年12月某日、当時私は信大産婦人科の一医局員でしたが、突然、「教授室まで来るように」と(故)福田透教授から連絡があり、一体全体何の話なのかと思って教授室に行ってみると、「今度飯田市立病院に産婦人科が開設されるが、その初代部長として赴任することを命ずる」という一言でした。その直後に当時の飯田市立病院長の(故)宮川信先生に初めて電話をし、「今、教授から飯田市立病院に赴任するようにという話がありましたので、今後よろしくお願いします」と挨拶しました。その後、市立病院産婦人科開設の担当職員から連絡があり、「4月1日付けの開設なので年明け早々すぐに産婦人科外来の工事に取り掛かる必要があり、すぐにその図面を書く必要があり、まずは早急にその概略図を書いて提出して欲しい。開設時に必要な医療機器を購入する手続きに入るのでその機器購入リストをすぐに提出して欲しい。医療機器の予算としてはとりあえず1億円確保してある」などと矢継ぎ早に言われ、突然、産婦人科開設準備で大忙しの身となりました。
 
何とか無事に産婦人科を開設して軌道に乗せたと思っていたら、平成4年度に新病院が完成し引っ越すことが決まっていて、すでに新病院建設の工事も始まっていて、新病院の産婦人科外来と病棟の図面、医療機器の購入リスト作成作業に取りかかりました。新病院に移ってからも産婦人科の患者数は毎年増える一方だったので、数年ごとに外来を拡張したり、分娩室を増室したりといつも産婦人科は工事ばかりしてました。それでも施設が手狭となり、平成26年には県下最大規模の周産期センターが完成し引っ越しをしました。
スタート時は産婦人科医一人と助産師二人の計三人だけだった産婦人科スタッフも、年々大幅に増員され続けました。考えてみたら、在職中の三十年間はいつもいつも拡張工事ばかりやっていて、拡張につぐ拡張で産婦人科はかなり巨大な組織となってました。もしも個人で産婦人科医院を開業していたら、医院を新規開設するにも拡張工事をするにも、その度に個人で何億円も大借金を背負わねばならないし、雇ったスタッフ達には給料を支払わなければならないし、自分が歳を取って引退する時には後継者にちゃんと事業を引き継ぐ必要もあります。後継者が見つからなければ、適当な時期に事業を終了して医院を閉院し、スタッフを全員解雇する必要があります。そういう事を考えると、私の人生では仕事としてやりたいことは思う存分に全部やりきって、いつもとても楽しかったし、大勢のスタッフ達は今もちゃんと立派にやってくれていて、産婦人科の患者さんを市立病院に紹介するといつでも迅速かつ適正に対応してくれます。
 
私の時代はすでに終わってますが、元職場のスタッフの皆さんとの良好な関係があるので、今でも仕事がとてもしやすいです。もしも退職後に他の地域に移っていたら、どこであろうとこんなに働きやすい環境は絶対に得られなかっただろうと確信してます。今や私は市立病院の最大の利用者の一人となってます。市立病院のスタッフの皆さんには心から感謝してます。
 

人生の岐路

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思えば人生には多くの岐路があり、多くの出会いがあり、多くの人々に導かれて、私はここまでやって来ました。

もう50年以上前のことになりますが、高校生の頃、私は数学と英語が好きで、大学受験の時は名大理学部と南山大外国語学部英米学科とを受験しました。当時はオープンキャンパスなんてものはなくて、田舎の高校生が大学キャンパスを見学する機会はほとんどなく、受験日当日に生まれて初めて大学のキャンパスを見ました。名大理学部の方の受験生はほとんど男性ばかりでしたが、南山大外国語学部の方の受験生は女性が多くキャンパスの雰囲気は非常に華やかでした。あの華やかな世界では生きていけないと直感し、地味な名大理学部の方に進みました。名大生時代は下宿にこもって趣味の数学と英語の勉強に没頭しました。そんな数学・英語漬けの日々の中で、立ち寄った本屋さんで(故)大塚敬節先生の漢方医学の入門書に出会いました。たまたまその本を立ち読みしたのが医学の世界との接点で、突然湧き上がった漢方医になりたいという気持ちをおさえきれず、医学部受験を決意して信大に願書を提出しました。

受験のために初めて訪れた松本の雰囲気に魅了され、ここに移り住みたいと強く思いました。運よく入学が許可され、松本での生活が始まりました。医学部6年の時に、医学生が市民に医学の世界を解説する医学展という行事が開催され、私も医学生として参加し、趣味の東洋医学についての展示発表をしました。その時、当時産婦人科講師の(故)飯沼博朗先生が顧問になって医学生の面倒を見てくださいました。飯沼先生が「産婦人科では漢方や鍼灸を実践できるよ」と産婦人科入局を熱心に誘ってくださいました。偉い尊敬する先生から直接誘っていただいて感激し、その場で産婦人科入局の決意表明をしました。大学院生の私を婦人科腫瘍学の世界に誘って研究を指導してくださったのは、当時産婦人科講師のNH先生でした。大学院では子宮体癌の臨床病理学的研究に従事しました。大学院修了後は、当時産婦人科助教授のTY先生の御指導で婦人科細胞診の勉強を始め、しばらくは明けても暮れても細胞診修行に没頭しました。

信大産婦人科に入局して7年経過し、これからどこでどうやって生きていくべきかと思い悩んでいた矢先に、飯田市立病院に新規開設される産婦人科の初代部長に、(故)福田透教授が私を指名してくださり、平成元年4月に松本市から飯田市に家族を引き連れて引っ越して来ました。飯田市立病院産婦人科が開設された当初の2年間は、一人医長で頑張りました。その後、日本医大講師(医局長)だったHH先生が就任してくれました。HH先生とは全く面識がなかったんですが、たまたま初対面の日に異所性妊娠の緊急手術を手伝ってもらって意気投合し、そのまま縁あって14年間よき相棒として一心同体となって一緒に働きました。HH先生は長年にわたり苦楽を共にしてくださって、いくら感謝しても感謝しきれません。福田先生の後を継いで信大教授となられたFS先生は、しばしば飯田まで手術指導に来てくださって、非常に多くのことを学ばさせていただきました。FS先生の後を継いで信大教授となられたKI先生もしばしば手術指導に来てくださって、多くのことを学ばさせていただきました。日本医大教授だったKH先生は、10年以上にわたり腹腔鏡手術の指導に毎週来ていただき大変お世話になりました。また、信大産婦人科教室の先輩や後輩の多くの先生方が常勤や非常勤で入れ替わり応援に来てくれました。KI先生の後を継いだ信大教授のST先生からも非常に多くのことを学ばさせていただきました。

飯田市立病院産婦人科は、開設以来いつつぶれてもおかしくない危機的状況が長く続き、常に自転車操業を続けてましたが、この地で偶然出会った多くの人々に助けられ支えられて、何とかこの世の中にかろうじて生き残り、その後奇跡的に大発展を遂げました。

飯田下伊那地域における産科医療提供体制の変遷(平成の30年間を振り返って)

いつのまにか30年の月日が流れ、私の飯田市立病院での任期も平成31年3月で無事に終了しました。現在、飯田市立病院では優秀な医局の後輩医師達が地域の産婦人科医療の中核を担ってくれているので安心してます。私は定年退職後、縁あって西澤産婦人科クリニックに就職し、藤田医科大出身の先生方と主に不妊症診療に従事してます。また毎日多くの産婦人科の患者さんを飯田市立病院に紹介し、市立病院の先生方には日々大変大変お世話になってます。

できればなるべく長く健康状態を維持し、微力ながら地域医療に貢献していきたいと考えてます。初心に立ち返って漢方医学の勉強も再開したいです。また、「ライフスパン、老いなき世界」デビッド・A. シンクレア(著)、「開かれたパンドラの箱、老化・寿命研究の最前線」今井眞一郎(著)などを読んで、アンチエイジング医学の世界に興味を持ち、自分の体で実践し始めました。現在は、間欠的断食、有酸素運動、筋トレ、週末登山、水中運動、ヨガ、サウナ・冷水浴の励行のほか、NMN、メトホルミン、レスベラトロール、ザルティア、八味地黄丸などを毎日内服してます。信大産婦人科医局の大先輩であるTK先生は私より少し前からアンチエイジング医学の実践を始めていて、この分野でも有益な助言をよくいただいてます。ともに百歳まで元気で現役続行することを目指してます。

健康寿命の延伸

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私の親の世代では、一人の退職後世代の生活を十人の就労世代が支えてました。ですから、定年退職後は引退して貯蓄と公的年金だけで死ぬまで生活できる計算も十分に成り立ってました。今の社会保障制度や年金制度の原型はその古きよき時代に作られました。日本人の平均寿命が伸びて誰でも百歳近くまで生きることが当たり前となり、今後も出生率がどんどん下がっていく結果として、人口に占める65歳以上の高齢者の割合はこれからも年々増えていき、社会を支える就労世代の割合はどんどん減っていきます。この人口構造の劇的変化によって、従来の「60〜65歳まで働いて、引退後は貯蓄と公的年金で悠々自適に暮らす」という常識的な人生設計パターンが今後は全く成り立たなくなるのは当然で、親世代の人生設計の常識は子や孫の世代では通用しません。人生百年時代の人生戦略を根本的に練り直していく必要があります。健康寿命を伸ばして要介護期間をなるべく短縮し、百歳まで楽しく働き続けられる状態を維持する必要があります。健康寿命を伸ばすことが人類の最重要課題の一つであることは間違いありません。

参考までに、「ライフスパン、老いなき世界」の著者シンクレア教授(ハーバード大学)自身が、健康寿命を延ばすために実践していることは、間欠的断食、運動、サウナ、寒冷刺激、メトホルミン、NMN、ベスレラトロール、低用量アスピリンなどです。健康で長く生きていれば、人生まだまだこれから楽しいこともたくさん待っていそうな気もします。健康寿命を伸ばすために、とりあえず今できることから始めてみましょう。